アトランティス

自分の路をたどります

「今」を越える勇気



昨晩、ムドラーをやりまくった。

本で読んでなんとかやっているが、形として合っているかはわからない。

だが、エネルギーが動いていることはわかる。

胸が苦しくなったり、身体に痛みが出たりしながら、それが流れる様子をみながら、ムドラーをただしていた。

ゲリーボーネルとKan.さんの本で紹介してあるムドラーだ。

その本を、久々に開いてみた。

すると、「誰でも、聖者だった時と悪魔だった時があったと思う」と、ゲリーが言っていた。

それを一心にしみじみ、私もそう思うと感じながら、またムドラーを続けた。


そして、さっきまた本を開くと、「今という瞬間を越えてみることだ」と、Kan.さんが言っていた。








私が日々やっている、「思い出す行為」は、まさに、今を越える行為といえると思う。

現在の自分が、なにか思考し、それに集中した結果、思い出すことに繋がる。

疑問や、瞑想をすることで、自然とそういうことが起きる。

その行為を、日常でもそのまま生きるには、しっかりとその場に居なければならない。

つまりは、現在の今という瞬間の、その奥に入り込むことなのではないか?と思った。

思えば私は、その勇気が無くて、いつも寸前で止めていた。

そこには、かなりの恐れがあり、近づくこともできなくなって、その恩恵さえも、忘れきっていた。

人を巻き込むことが、とても怖かった。

けれど、もうそろそろ、いいのではないか。

自分を許しても。自分の集中力を使いたい。

自分とはどんな存在だったのかを、思い出したい。

人を巻き込む勇気、

自分が宇宙の中心なのだと知る勇気、

今というその瞬間の、奥へと入り込む勇気。



昔は、それがとても得意だった。

こどもの頃。

けれど、親の教育のなかで、それはしてはいけない行為なのだと知らされ、

私は完全に封印してしまった。

その瞬間を、今でも覚えている。

それ以来、人前で、瞬間を越えるような行為は一切しなくなった。

そうしたら、とても暗い人生を生きることとなったのだが、それでも私は構わなかった。

それが正しい道だと、信じていたから。

それ以来、私はどうやって今を越えるか、わからなくなった。

けれど、もういいだろう。

もう充分体験した。

楽しむことを選択しても、いいのではないか。











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