アトランティス

自分の路をたどります

婆ちゃん




夢の中でとある先住民族のもとへ行っている夢を見た。

これは今日で2度目の訪問だった。

先住民たちは沼を中心に生活していて、雑に造られた小舟を漕いで案内してもらうのだが、小舟が水面スレスレで、今にも水が入ってきそうなのだ。

前回はだいぶ水が入って来たが、今回は大丈夫だった。

村の人たちの営みを観て、色々と観察させてもらうのだった。

その村には長老てきな、尊敬されているお婆さんがいた。

村ではある程度歳をとっているから尊敬されているのだが、お婆さんはそのあとなんらかの理由で一人沼を離れ、木造の小さな小屋に住み、孤独に暮らしているのだった。

現地の人たちと同じ土地に住み、差別と迫害を受けていて、わたしがそこへ訪れると両目が無い顔で泣いているのだった。

村ではある程度尊敬されていた婆ちゃんが、村以外では人間以下の扱いだった。

私はただ取材に行っただけの身なので、同情するでもなく、ただただ、そういうもんかと観ていた。

婆ちゃんは助けて欲しそうだった。

けれど、私には解決できないことであって、自身が生き方を変えればいいだけの事だ、と冷静にみていた。



現実面でも、私はいつも婆ちゃんの問題は自分とは関係がない事だと思っていた。

変な濡れ衣を被せられたり、疑われたりして巻き込まれたりしても、一貫して「私は関係ない」という気持ちがあった。

父方のDNAの影響で、私は肌が白かったけれど、それを羨ましがられ、妹の肌の黒さは卑下していた。

その様な文化の違いは、いくら説明しても通じなかった。

そう信じ込んでいるからただ、そういう現実が生じていた。

私は関係ないのであった。


私の弱みは、同情しなければならないのだろうか?という、他人よりも自分は身分が低いのだからそうするべきなのだろうか?という自問がいつも湧く事だ。

相手はいつでも「悲観」の中を真っ盛りで生きている。

けれど、冷静に考えると、そんなものに合わせる必要なんてないのだと思った。

合わせられないことに罪悪感さえあり、ズルズルとどうでも良いつながりを続けていた気がする。

婆ちゃんの前世訪問で、そんなことに気づいたのだった。

私は婆ちゃんに会いに行かないことに無意識に罪悪感があった。

本来ならば、会いに行かなければならないのだろうけれど、私は会いたくない気持ちだった。

会いに行ったところで、気の利いたことも言えないし、無理して優しい言葉をかける気も無いし、婆ちゃんにとっては会いに行ったという事実が、甘えの材料になるだけだ。


会いたくないのならば、合わなくて良いのだと、夢を見てから気が付いたのだった。











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