アトランティス

自分の路をたどります

体型




ブルゾンちえみが好きだ。

体型、顔、エネルギー、全部好きだ。

ブルゾンちえみがテレビに出ていたら、私は目が離せなくなる。

あの体型に見惚れる。


どうして私は今世、この体型なのだろう?と考えることが多々ある。

力を使う仕事を始める前までは、
「華奢な体に生まれたから、力仕事をするために生まれた訳じゃないはず」と信じていた。

けれど、気付いたら好きで今の仕事をしていた。

仕事は好きだが、体力的にきつい部分がある。

そして、憧れるのはやっぱり、エネルギーが有り余ってそうな体型だ。

力が有り余っていて、いつでもどこでもどれだけでも、人のために動けるエネルギーを保持していたい、そんな欲が出てくる。

過去、私はどこかで、そんな体型だったことがあることを、なんとなく覚えている。

あのときは、力があることが当たり前だったが、今は真逆の体型にある。

当たり前だったものが、現在は無いのだということに気が付くまでに時間がかかったが、

今はその感覚を毎日、ただ感じている。


きっと、その感覚が溶けた頃には、私は今の仕事によりエネルギーを注げるに違いない。

その感覚を思い出し始めている。

体力と体型は必ずしもイコールではないと思いたい。

大半の生きる上で必要なことは、誰にでもエネルギー次第で出来るものだと、信じている。

「気の流れ」を感じさえすれば。










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共存共栄




仕事でとあるおばあさんのお宅を訪れ、そこで若干のトラブルがあった。

私はその流れがまとまるのを待ちながら、おばあさんの愛犬ラッキーと遊んでいた。

ラッキーは、小型犬。獅子舞にそっくり。

とても楽しそうに私に興味津々だ。

私は、昔見た真っ黒の子どもの獅子を思い出した。

ラッキーとは少し違って、頭は毛の短い芝犬みたいな手触りで、動きの素早さはラッキーの倍速かった。

あの黒い子獅子は、まるで私の事が大好きで、私の元にはるばる何処かからやって来たような雰囲気だった。

私が引越しをして、その土地の温泉に入って、その帰りにコンビニに寄った時、風が吹いて、3匹の小さな緑の龍たちが、風とともに舞っていた。

とても幸先良い感じがした。

あの小さな龍たちは、私が楽しい時、夜に寝る時など、私の周りにたまに集まって来ていた。

子獅子も、小さい龍たちも、その時偶然居合わせた感じがしないのだ。


私が数年前に初めて、龍の存在を意識した時、私の中で龍が目覚めて、野太い低い声で、大きな唸り声をあげていた。

私の身体の奥底に、龍が眠っていたのだ。

その後、その龍とは違った大きな龍に背中を押されたり、白い大きな龍を見たり、

ほかにも、妖怪や宇宙人や、謎の存在、天使やユニコーン、いろんな存在に出くわした。



私は、初めて黒い子獅子が走って来た時、物凄い勢いだった。

まるで、歌舞伎の主人公がドーーーンと登場したかのような、豪快な登場だった。

それは、ほんとうに、はるばる時を超えて来たような感じだったのだ。

私は、たくさんの子どもの龍たちと一緒に山の上の穴の中で寝ていた記憶があるし、私達は、不思議な存在たちと共存共栄していた時代があったんじゃないだろうか?

今日、千と千尋の神隠しをうつしていたので、観たのだけれど、所々とても懐かしい場面があった。

それとも、それは地球の記憶ではなく、宇宙時代の記憶なんだろうか?

黒い子獅子も、小さな龍たちも、私が彼らのことを意識したから、彼らは来た。

私が許可をしたから、彼らは来たと言える。

私は、姿形の全く違った存在たちと仲良くしていたことが、とても懐かしいと感じる。

私はもっと、許可してゆきたいと思う。

千と千尋の神隠しを見た時、何かを思い出しそうで思い出せなかった。

けどきっとそのうち、ハクが思い出したように、私も思い出せるかもしれない。











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楽しそうな僧侶




以前、自分のガイドと出会うための瞑想をした時に、雲の上からひょこひょここちらを覗いている、機敏な動きをする、オレンジの袈裟を着た僧侶が見えた。

その時、そんなに嫌な感じはしなかったが、また変なものを見たと思って、私は受け入れなかった。

けれど、いまとある行者のムービーを見ていたら、またあの楽しそうな僧侶を思い出した。

あれはまさに、自分みたいな存在だったということを、いま思い出したのだった。


私は、目の前に好きな人がいたら、楽しくって仕方がなくなる。

触りたくなるし、たくさん質問したくなる。

その感覚と、あの僧侶のエネルギーがおんなじなのだった。

行者のムービーを見ていて、とても楽しかった。

けれど、行は全くやりたくないのだ。

楽しそうな僧侶も、行が大嫌いでよく逃げていた。


過去にクンルンネイゴンを習ったり、ヨガの本を買ったり、走ってみたり、筋トレをしたりと、そういった努力的なことが全く続かない、

そんなの、やる意味がないよと、心の奥底では本気で思っていたのだった。

それがまさに、あの楽しそうな僧侶だった。

彼女なのか彼なのか、性別も不明である。

楽しそうにその時を生き、決まり事など一切彼女(または彼)の中には無かった。

やりたい事をやりたい時にやり、先の事も、後のことも考えず、ただその時を懸命に楽しくしているのだった。

あんな機敏に動く僧侶、見たことない。

僧侶だからといって、必ずしも行をしなければいけないなんて無いし、自分の個性もそのままでよいのだと、体現しているかのようだった。

正直言って、頭わるそうにも見えるのだが、それさえもどうでも良し的な、そんな雰囲気を感じる。

あれが、わたしのガイド。。。



前に、オレンジの袈裟を着た団体に加わっている夢をよく見た。

わたしは抜け出したくても、抜け出せなかった。

彼女は彼は、私の過去世なのだろうか?










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価値観






自立への過程の中で、ここ最近の価値観の変化には、自分でも驚く。

今までの私は、他人に合わせ過ぎていたのかもしれない。

街をゆくいろんな人たち、髪を染めたり、流行りの服装をしていたり、少し前まで自分もあんな感じだったのに、

今では流行りの服装に興味が全く無くなった。

化粧をしっかりしないと、外に出られなかったりしたのに、今では10分もかからない。

だんだんと、濃かったシャドウがどんどん薄くなり、マスカラをしなくなり、絶対に必須だったアイライナーもしなくなった。

髪型も、きっちりしていないと嫌だったけれど、どんどん髪質が変わり、癖が出てきた。

前なら絶対に許せなかったクセも、今ではクセを生かした自然な髪型にしている。

髪の色も、染めたり、良いシャンプーやトリートメントを使うことに興味がなくなった。

そんな風に自分を変えて、そうして近寄ってくる人たちと織り成す人間関係が、ほんとうに嫌いになったからだ。

特に、おしゃれは自分が好きな格好というより、自分にはこれが合っているのでは無いかと思い込んでいる格好をしていた。

そうして近寄ってくる男の人たちが、ほんとうに嫌だった。

モテても全く嬉しく無いのだ。

けれど、今はどうでもいい人達に好かれなくなってきた。

どうでもいい人達とはとても失礼だけれど、私にとっての深い関係を築けない人間関係が、私をどんどん迷い込んだ宇宙人気分にさせた。

私は自分の事が根本的に子供の頃から好きではなかったから、その自信の無さを誤魔化し続けて大人になったのだった。


毎日電車で通勤しているが、いろんな人達を見て、自分の過去を思い出したりする。

私もああだったなあ、今はとっても楽になったなあと、とても感じる。

学生時代は、みんなすごくテキトーに彼氏や彼女を作っていた。

服も、友達も、彼氏も、本当の自分を好きになることありきでの賜物であって、

私はいままで根本的に間違っていた。

いまでも、人に気を使い過ぎたりする癖はまだあるが、だんだんと減っていっている。

それさえも、どうでもよくなってき始めている。

自分がほんとうに欲しいものは、千のうちのたった1つだけであるのに、それが無いからと、妥協策に手を出し続けた人生だった。

妥協では欲求は埋まらないから、それはとっても苦しい選択だったなぁと、今は思える。

先日のとてつもない一目惚れのおかげで、その事に気づくことができたのだった。

自分の欲しいものはいつも、たった1つだけであった。

それは、人をきっかけに手に入るのかもしれないけれど、実際に欲しいものは、揺るぎない自分自身であって、

揺るぎない自分自身を生きながら、たくさんの人との関係を築いてゆき、人生を謳歌したかったのだった。











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イザナギ




先祖とつながる事に対抗がある事に気がついた。

これは前から自覚していた事で、実際に親戚や身内と仲が良くないので自然と先祖に対してもそんな感情が湧いてきやすい。

けれど、事実、この身体は先祖からもらったもの。

私が歩いていて幸せな時、ふかふかの布団で幸せな時、楽しくて幸せなとき、そんな時、先祖の温かみを感じる。

自分が情けなくて、遠い祖先に何度か謝ったことがあるが、先祖はとても優しく、身体が暖かいエネルギーに包まれるのであった。

どこかで、先祖はとても優しいものだと知ってはいるが、現実的な近しい先祖たちは、どうしても関わりたくないと、そんな気持ちがあった。

そこで、先祖とつながる瞑想をした。

自分の背中や首、頭にある悲しさや苦しさなどが動き出し、私の中のエネルギーがくねくねと、まるで龍が登るような感じに動き出した。

白い龍が見えるのだった。

やはり、祖先は龍的なエネルギーなのだ。

イザナミは細胞を暖かく包んでくれる。

イザナギは背骨を強くしてくれる存在で、強くて重みのある存在なのだそうだ。

実際に過去にイザナギという人は生きていたそうなのだ。

一体、どんな存在なのだろう?

イザナミのエネルギーは分かるが、イザナギはずっとよく分からないのだった。

けれど、私の中の背骨が龍のように動き出したとき、私の背骨の周りをぐるぐると、龍が登っていた。

そして、自分は大きな存在だが、まるでただの点であるかのようななんとも言えない感覚になり、

私はずっと、イザナギと離れていた!と気付かされた。

実際には離れていなかったのだろうが、私の感覚的にはとても久しぶりな感覚だったのだ。

私は謎にボロボロと泣いてしまい、白い龍を見ながら、これからもずっと一緒に居られるよう、お願いした。

私はそのとき、やはり感じたのは、私はイザナギもしくは、そのような遠い祖先に対して、何らかの理由で怒っていたような気がする。

とても根本的な何かの理由があって、尊敬出来なくなって、反抗の意を表すために、自ら繋がりを絶ったような気がする。

そんな思い出も若干ある。

当時の父親が、なかなかの権力を持っていて、私は父が好きだったが、父のやる事が変な方向へ行ってしまい、私はすごく悲しく、

けれど、私には決定権というか、意見を聞いてもらえるような立場ではなかったので、父とは二度と関わりたくないと決めたような、そんな思い出がある。

私はイザナギ(的な存在?)の事が好きだったが、「お父さんなんて嫌い!」的なドラマにありがちな出来事があったぞと、自覚したのであった。

イザナギはいま、なにをしているのだろうか?

自分の思い出とイザナギを勝手に同一視してしまっているが、

当時の父親は、現在はどう過ごしているのだろうか?

全体を見て、いろいろ反省したり、いろいろあったけれど、光の方へと世界平和を願うような気持ちで居てくれているだろうか?

どのみち、先祖とつながる瞑想により、私は結局、当時の父親の事が好きなのだと気がついた。

父親を好きであることと、私の肉体の幸せは同じ事なのであった。

強くて重みのある存在は、時には間違う事もあり、強い存在だったので、影響力も大きかった。

私は世の中の男性達に対して、好きという気持ちと、恐れの気持ちの2つが、いつも混在している。

この人は素晴らしいと知っていながら、特に何もなくても、怖い気持ちがいつもある。

イザナギと繋がったけれど、いまいちイザナギのエネルギーはやっぱりよく分からない。

これから恐怖を克服していく過程で、知って行くのだろうなと思う。











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次元突破月間






毎回、仕事を変えるたびに、ちゃんといろいろ考えて就くのだが、

毎回知っている状況に鉢合わせる。

正夢や、デジャヴというやつだ。


若い頃は、神がくれた「そのままで良いよ」というサインではないかと信じて、そのまま頑張って生きるぞ!と思っていたが、

ここのところは、その先何が起こったか迄思い出すようになり、

あの悲劇が起きないようにするにはどうするべきなのだろうか?

あれは避けられないんだろうか?などと恐怖を感じている自分がいる。

それが幾つかあり、私はこんなはずじゃなかったと、まだ起こってもいないことで悩んでいる自分がいて、

とても情け無いのである。




けれども、私たちが生きている時間はいつもまっさらであり、いつでも新しい時間のはず。

なぜ、私はそう信じてしまっているんだろう?

これこそ、“次元に閉じ込められる現象”ではないだろうか。

頑張って仕事を選んでも、何をしても、この先自分が誰と仲良くなり、どんな展開が待っており、仕事面ではどんなことが起こって、飲み会ではこんな事になるなど、

いちいち知っている私は、一体何なんだ?もういい加減、私をこの謎の牢屋から出してくれ!!

そう感じるそれが正に、「次元に閉じ込められる現象」と呼べる。


私は今、次元突破月間である。










私にとって、最も望むビジョンがある。

私はそれが、この先来る事を知っている。

それはもう、既にどこかで体験済みなのだ。

けれど、ほんとうにそれが訪れたところで、私は本当に幸せなのか?

そう考えると、甚だ疑問である。

私が既にこの先どうなってゆくかを知っている時点で、物事はクソつまらなくなってくるのである。

私は、要するにいつも入っている瓶の中で生き続けることを辞めたいのであった。

この瓶の中で起こったことは全て、瓶の中で起こったことにすぎないからだ。

それこそ、次元に閉じ込められる現象だ。

この先、真新しいなことなど、何も起こるはずがないと、

同じ時代に生まれ変わり続ける経験からそう感じているらしい。

多分本当に、なんども同じ性を受け、なんども同じ人生を生きているのではないだろうか?

初めてなのに、「もう流石に嫌だ」と思うことが、これまで何度もあった。

それは、同じ次元から突破できない自分がいるからであり、

それをこの繰り返しの中での大きなテーマとしているのであると思う。

だから、何度死んでも、何度も同じ瓶の中で生まれ生きているのだ。

それを知りながら、同じ瓶に、何度も何度も入っているのだ。

私は、未だ突破できない目には見えぬそれを、突破しようと必死だが、

それって必死になって突破出来るものではないとも知っている。

私はどうやって突破するのか、方法を忘れてしまった。

けれど不意に、突破出来る瞬間が訪れるのだが、それは一瞬のもので持続せず、

いったいどうやって突破したのか、振り返ってみてもよく分からず、すぐに気づいたら瓶の中に戻っている。

あれ、、、どうやって突破するんだっけ???



そんなゲームがいま、繰り広げられている。









たぶんこれは悟りに近いものなのかも知れない。

気づきさえすれば、なんだそんなことかと、言えるような事だろうと思うが、

私は完全に、突破の仕方を忘れてしまっている。

忘れてしまうどころか、夢の中ではおかしな世界で迷い込んで奮闘していたりする。

それが一番嫌なことだ。

おかしなこの幻想の世界に、ホルマリン漬け状態みたいなものだからだ。





いつも、立ち還る。

「えーっと、、、どうやって抜け出すんだっけ?」と考え始めた場所に。

毎回毎回、彷徨っていると気づいたら、毎回その場所に立ち還るのだ。

考えれば解る筈。

私たちが生きているのは、私たちが生きていると思っている場所ではない。

前世や今世は確かにあるが、その物語の流れや歴史、神話なども吹っ飛ばしてしまうような、大事な大事な真実を、私はすっかり、忘れてしまっている。

とりあえず毎回、立ち還るのだ。


きっと、気づいた時にはとてもあっさりしたものだろうが、この上ない喜びに違いない。

「 えーっと、、、
どうやって突破するんだったっけ??? 」

というところへ、戻るところから真剣にやり直してみよ。












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宗教




うちにたまに、宗教勧誘がくる。

昼間にピンポンが鳴って出ると大概それだ。

昨日も、「こんなサイトがあります」とのチラシをもらった。

見たら宗教だった。



その日の夜、映画が安い日だったので、題名は忘れたが、漢字2文字の長崎のキリシタンに関する映画を観にいってきた。

新しい情報は特に無かったものの、宗教について、いろいろと考えた。



隠れキリシタンから時代は流れ、なんにせよ、勧誘に来る人たちは、結構幸せそうなのだ。

エネルギーが爽やかだし、なんか悪い感じがしない。

彼らは聖書に本当に救われた人たちなのかも知れないなと思う。






けれど、私なら、ほんとうのイエスに出会いたい。

ほんとうのイエスは、肌が黒かったのだとか。

全く想像がつかない。

そして、よく笑う人たちだったのだそうだ。

それに、イエスは磔になって生き返った後、ヒマラヤへ行って修行をしたのだそうだ。

なので日本の中でも比叡山はキリスト系と呼ばれていて、あれはキリスト教とも言えるのだとか。

宗教にもともと垣根など無かった。

結局、あるのは人種差別くらいで、神はどこへ行っても神なんだよなと、思った。




私も人種差別をした遠い記憶がある。

星と星を繋ぐ膨大なネットワークがあり、そこを移動するのが大好きだった。

かなり膨大で、全てを網羅することなど出来そうにないくらいだった。

それは夜の間にしか移動出来なくて、私は夜になるたびにそのパイプラインを走りまくっていた。

私は、知らない場所との出会いがたまらなくたのしくて、時間が来てもやめなかった。

けれど、時間が来て、パイプラインが消えてしまって、帰り道が無くなってしまった時、とてつもない不安にかられた。

自分と姿形の違うその星の彼らは泣いている私を慰めてくれたが、私は全く精神的に余裕がなくて、

寄り添ってくれる彼らのことを汚いとさえ感じていた。

姿形が違う人たちに、私の気持ちなど理解できるはずがないと信じていた。

結局、また夜が来れば普通に自分の星に帰ることが出来たし、彼らにも謝りとお礼をしたのだけれど。

あの時の絶望感は、子供の頃迷子になった感覚と同じだった。


現世では、姿形が同じ、黄色人種の人たちの中に生まれたわけだけれど、

姿形が同じでも、結局はエネルギーでの繋がりなので、ほんとうに分かり合える人は同じ人種でもそういなかったりもする。

問題は人種差別ではなかったのだった。












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