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アトランティス

自分の路をたどります

羽を伸ばしたい







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イシスには翼がある。

いつか会いたい。

最近、自分の腕や足の内側に、太陽などのエネルギーが流れやすいことに気づいた。

自分が太陽になると、エネルギーが流れて身体が熱くなり、足や腕の内側に力が入れやすくなり、体の、軸が整う的な事が起こる。

イシスは腕の内側に翼が生えている。

きっと、人間にはそういう内なる力が備わっているんだ。

日常で、やりたくないことをすると、体の力が抜けて、体を動かすことが一気に嫌になってくる。

けれど、やりたい事は気づいたらやっていたりする。

きっと、楽しく羽を伸ばして生きれば、イシスになれるはず。

けれど、羽を伸ばしたいけれども伸ばせない日々が続いている。

羽を伸ばす事にかなりの恐怖がある。

実際に羽を伸ばすことが出来た時のことを考えるだけで、身体が震えるのであった。

謎の震えだ。










人は皆、なにかしらの動物と強い繋がりがあるのだとか。

今もどこかで生きている特定の動物と、自分とが繋がっているのだ。

私は、自分と繋がっている動物は、鳥類ではないかと感じている。

夢の中で会った大きな鳥も、私みたいに震えていた。

私と繋がっている鳥も飛びたくても飛べない。なんだかとっても寒そうだった。




そう言えば、昨日の夜、ずっと変な音が聞こえていた。

ピーーーーーポーーーポーーピローーーと言うような音が、ずっと聞こえていたのだった。

宇宙人だ、と思った。

こう言うことはたまにある。ラジオから宇宙人が喋っていることが、前の職場でよくあった。

けれど、今回はそんなに悪い感じではなかった。

なんだかいい感じのエネルギーが来ていたから、身を任せてみたんだった。

まるでダウンロードみたいだった。

それも、鳥類的な宇宙人と感じていた。

鳥類つながりで思い出した。







子供の頃は、夢の中でよく飛んでいた。

子供の頃は、羽を伸ばして生きていたからだ。

大人でもきっと、空飛べるぞー!

と思う。

2017年は羽をひろげるぞ。











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SUMOKING






稀勢の里横綱になった。

若乃花以来、19年ぶりなのだそうで、私は子供の頃若乃花を見てたから、とっても久々の日本人横綱であって、

若い世代の人たちにも、初の日本人横綱となるわけだ。

んーーーー、かっこいいですな、稀勢の里

んーーー、かっこいいですなー。




けれども、日本人はみんな白鵬も大好き、白鵬かっこいい。

白鵬も現役でまだまだお願いします!

そんな気分だ。


2017年は私も力士みたいな体型になりたい!

力持ちになりたい!💪

そんな気分である。








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アイドル





新しい職場の先輩がbig bang好きだった。

よくLIVEに脚を運ぶのだそうで、3月に韓国へ行くかもと言っていた。

何故、人はアイドルを好きになるのだろうか?

何故、そんなに夢中になれるのだろうか?





以前、映画を観に行った時、激しくうるさい客が数名居た。

とても若くて、たぶん女子高生だったろうと思われる。

私は気が散るので注意をしたが、一向におさまらなかった。

何故なんだ、何故、そんなに喋り続けられるんだ?普段テレビを見ている時もそんな風に喋っているのか??

など、たくさんの疑問が湧き出る中、私はある事に気付いた。

彼女たちは、映画の中のある特定の出演者が出てくる時だけうるさくなっていた。

その男はなんと、ジャニーズなのだそうだ。

私は、なんだか、「ああああぁ〜」と、納得と絶望が入り混じったような感覚になった。

いつの時代も、寂しい女の子たちが居ることを忘れていた。

私も中学生の頃、当時まだ5人だったKAT-TUNの亀梨くんが大好きな同級生がいた。

彼女は何かと休み時間になると「かめちゃん」「かめちゃん」と亀梨くんの話をするのであった。

私は、その夢中になる気持ちが分からず、ジャニーズ番組を何週間か見続けたのだが、あそこまでの熱は理解できなかった。

個人的に、亀梨くんの笑顔が受け付けなかった。

けれど、亀梨くんがだいすきな彼女は、「かめちゃん」の笑顔の切り抜きをいつも生徒手帳に忍ばせていた。

そんなある日、彼女から一生のお願いと称して、亀梨くんの電話番号を入手したので、これから電話するから付いてきてほしいと頼まれた。

私はいろんな意味で動揺したが、付き添った。

学校にある公衆電話は、一階にある職員室の前の廊下にあった。

彼女は緊張しながら3回ほど電話をかけたが、亀梨くんは電話に出ることはなかった。



例えばもしも、万が一、奇跡が起きて亀梨くんが電話に出たら、一体どうするつもりだったんだろう。

彼女は無言で電話を切るのではないだろうか?

そんなことを、あれから何年も経った今でも考えてしまう。

一体亀梨くんのどこがかっこいいんだか、私は未だに分からない。

彼女は元気にしているだろうか。









私にとってのアイドルを、考えてみた。

アイドルといえば、かっこよく、なんでも完璧にこなし、性格も良いというのが条件ではないだろうか。

私にとって、アイドルとは、チベットの僧侶たちや、インドの聖者たち、ムージやババジ、あと、Kan.さんや、いろんな神様たちだ。

彼らは普通の人間と違って、疲れ果てていたりしないし、いつも心に余裕がある。

とてもヒーローみたいで、かっこいいし、人間離れしている。

きっと、この素晴らしさをジャニーズ好きな子達に言っても全く通じないことは分かっている。

けれど、事実、昔の昔のそのまた昔は、そんな能力のある神懸かった人たちがその地をおさめていた。

私にとってのアイドルは神的な存在なのであった。






今日、私はKan.さんの発売ホヤホヤの本を購入した。

ゲリーボーネル氏との対談みたいな感じになっていて、表紙にゲリーボーネル氏とKan.さんが写っている。

なんとも、素敵な表紙である。

まさに、アイドル。

Kan.さんは存在自体が自然的なので、一緒にいる人によって顔が変わる。

あと、たまに身体が透けている。

かっこいい。

宇宙のたまに遊んでくれた大きいおじさんが、そんな感じの存在だった。

とても大きいおじさんだったので、よじ登るのが楽しかった。

いつか会いたい、まさに私にとってのアイドルである。

とにかくとにかく、大好きなのだ。







映画館にいた彼女達にとっても、ジャニーズのあの男の子が神なのだろうな。

事実、あの男の子は演技が上手だった。

彼女達は翌日にはまた学校に行き、宿題や勉強や、将来への不安やストレスなど、いろんなことに取り組むのだろうと思うと、うるさいのはもう仕方がないと思った。

アイドルの需要と供給、恐るべし。


後日、とある歌番組で、あの映画に出ていた男の子が歌っているのを発見した。

彼はかなり自分に酔っているように見えた。

こっちが恥ずかしくなるほど、純粋にジャニーズだった。

そして、常に最大の笑顔で歌っていた。需要と供給が凄い。

私にとって神はKan.さんでも、彼女達にとっての神はジャニーズなのだ。ということを理解したのだった。











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存在するだけで緊張




今日は休み。

朝起きて、身体はガチガチ、私は夢の中で一生懸命、オーケストラの中でピアノを弾いていた。

夢の中では、私は訳が分からず弾いていた。

とにかく曲調が速く、私は音符が読めないので、自分の弾くパートのリズムだけを追いかけていた。

他の楽器たちが居て曲が成り立つにも関わらず、私は実は、どこで自分が入るのかがわかって居ない。

どこから弾き始めるかもわからず、何故自分はこんな事をしているのかも分からず、とりあえず、全てが意味が分からない中、

ただただ一生懸命緊張しながらピアノを弾いて居た。

夢の中で見たものは鍵盤だけで、あとは聞こえる自分を含めたみんなの音で、それが良いものなのかどうかもよく分からない。

そんな夢だった。

起きても、その曲が頭の中で流れていて、わたしの肩は凝っていた。

そういえば、私は小学4年生のころ、同じようなことがあった。

音符が読めず、ピアノも弾けない私が、何故か人数の都合なのか、学芸会でオルガンをしなければいけなくなった。

学芸会では、私はいつも、リコーダーや鍵盤ハーモニカなど、大多数の子達がする楽器だったのに、私は混乱した。

練習が始まって、人から自分のパートのドレミを教えてもらい、私は本番まで、訳が分からず弾いていた。

1度、指揮をする音楽の先生に音楽室へ呼ばれて、自分のパートを引かされた。

特にたくさん練習することもなく、私は怒られているのか何なのかよく分からないまま、言われるがままに弾いていた。

そして、先生は言った。

「あなた、これが終わっても、ピアノをし続けなさい」と。

私は、更に訳が分からなくなった。

この先生は頭がおかしいと思ったし、正直馬鹿にしていた。

先生も、音楽も馬鹿にしていた。

私は本番まで、全てのことが訳が分からず弾いていた。

先生は全員での練習でも、何も指摘してこなかった。

私は、あれから家にある楽器も触らなくなった。

ピアノを弾くということは、全く無い。

だけれど、夢の中ではまだ、大人になっても他の楽団で、ピアノを弾いていたのだった。

そういえば、現実でも移動途中など、「ピアノ教室」という字が浮かんで見えたりしていた。

私はピアノが嫌いで、好きなのかもしれないと思った。

とても肩が凝る夢だった。











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仕事選び





人間として身体を持って生まれたということは、私たちは生きている限り、身体を使って生きるということだ。

そんな単純で当たり前な事に気がついたのはつい最近で、怠け者の私は、動かないことこそが最高の楽だと信じていた。

けれど、実際に私が幸せを感じる動作は、移動したり、歩いたり、知らない街を歩くことだった。

自分が人よりも違う点は、「移動」が好きだと言うことだった。

なので、新しく選んだ仕事は、移動の多い仕事を選んだ。

すると、なんとも私の質にすごく合っているのだと気がついた。

いろんな職場を転々とし、つい最近まで、2年間もミシンを使うような移動など皆無の職に就いていたけれど、

ほんとうにあの職業が自分の適職ではなかったのだと、辞めた後に気がついたのだった。












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酉年




階段を見ると、駆け上りたくなる年始。

酉年は良い予感がする。





電車の中で、どうやったら周りに影響されないだろうかと工夫していた。

すると、私は再び、エジプトの壁画に出てくるような頭が鳥の神になっていた。

そのゴールドエネルギーは、まさに太陽のエネルギー。

時間が消えるようなあの感覚こそ、アマテラスの喜びのエネルギーであり、

そして、それが肉体のエネルギー源として身体中に巡り、それを体現しているのが、今の私にとっては、あの鳥神なのだった。


おかげで今日は身体の感覚がしっかりとしていた。


少し前に、宇宙の父と母を思い出してから、体の調子がいいのも理由のひとつだ。

宇宙の父と母は、まさに、私が私として存在するために無くてはならないものだった。

広大な父のエネルギーと、広大な母のエネルギーが重なって、そしてそれが、空気のように広く、どこにでもあって、幸せに生活する為には無くてはならないものだった。

私は、その在って当たり前のエネルギーから、出てみたかったのだ。

出てみようと、ポッと出たその瞬間、身体中が不安になり、骨はキシキシで、恐怖心でいっぱいになって、すごく寒くなった。

私は自分で神から離れたことをすっかり忘れて、その不安から、神を憎んだ。

神を憎む体験がしたかったのだった。

そんな宇宙の自分を思い出し、不安でいっぱいの自分を、再び父母のエネルギーの中にぽっと戻してみた。

すると、なんだろう、今世では体感したことのない「ただ存在する」という幸せ感が、私の肉体にどんどん浸透していった。

とても懐かしい感覚、私は今まで、これが無かったからこんなにも不安で彷徨っていたのだなぁと、知った。

そして、他のいろんな楽しく生きられない人々も、そういったエネルギー状況なのだということがよーく分かった。











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婆ちゃん




夢の中でとある先住民族のもとへ行っている夢を見た。

これは今日で2度目の訪問だった。

先住民たちは沼を中心に生活していて、雑に造られた小舟を漕いで案内してもらうのだが、小舟が水面スレスレで、今にも水が入ってきそうなのだ。

前回はだいぶ水が入って来たが、今回は大丈夫だった。

村の人たちの営みを観て、色々と観察させてもらうのだった。

その村には長老てきな、尊敬されているお婆さんがいた。

村ではある程度歳をとっているから尊敬されているのだが、お婆さんはそのあとなんらかの理由で一人沼を離れ、木造の小さな小屋に住み、孤独に暮らしているのだった。

現地の人たちと同じ土地に住み、差別と迫害を受けていて、わたしがそこへ訪れると両目が無い顔で泣いているのだった。

村ではある程度尊敬されていた婆ちゃんが、村以外では人間以下の扱いだった。

私はただ取材に行っただけの身なので、同情するでもなく、ただただ、そういうもんかと観ていた。

婆ちゃんは助けて欲しそうだった。

けれど、私には解決できないことであって、自身が生き方を変えればいいだけの事だ、と冷静にみていた。



現実面でも、私はいつも婆ちゃんの問題は自分とは関係がない事だと思っていた。

変な濡れ衣を被せられたり、疑われたりして巻き込まれたりしても、一貫して「私は関係ない」という気持ちがあった。

父方のDNAの影響で、私は肌が白かったけれど、それを羨ましがられ、妹の肌の黒さは卑下していた。

その様な文化の違いは、いくら説明しても通じなかった。

そう信じ込んでいるからただ、そういう現実が生じていた。

私は関係ないのであった。


私の弱みは、同情しなければならないのだろうか?という、他人よりも自分は身分が低いのだからそうするべきなのだろうか?という自問がいつも湧く事だ。

相手はいつでも「悲観」の中を真っ盛りで生きている。

けれど、冷静に考えると、そんなものに合わせる必要なんてないのだと思った。

合わせられないことに罪悪感さえあり、ズルズルとどうでも良いつながりを続けていた気がする。

婆ちゃんの前世訪問で、そんなことに気づいたのだった。

私は婆ちゃんに会いに行かないことに無意識に罪悪感があった。

本来ならば、会いに行かなければならないのだろうけれど、私は会いたくない気持ちだった。

会いに行ったところで、気の利いたことも言えないし、無理して優しい言葉をかける気も無いし、婆ちゃんにとっては会いに行ったという事実が、甘えの材料になるだけだ。


会いたくないのならば、合わなくて良いのだと、夢を見てから気が付いたのだった。











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