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アトランティス

自分の路をたどります

先のこと





最近、やりたいことが明確になり始めてきた。

子どもの頃から、将来の展望について問われることが大嫌いだったけれど、

最近は「この先こうしたい」というような内容が、具体的に見えてきた。

それは、子供だった頃にやりたかったことと全く同じだと気がついた。

子どもの頃はただなにも考えずにそうしたいと思っていたが、それは本当に、自分が欲するものだったということに、大人になって気付いた。

そして、子どもの頃想っていたことを上回る充実を体験したい、ただ普通に生きて普通に死ぬなんて、絶対に嫌だと、思うようになった。

普通に生きて、普通に死んで行くことは、これまでに何度も何度もしてきた。

今世の私はもっと飛びたいのだ!












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夢の中で





夢の中の私は髪が長く、ストレスでかなりの量の髪が、まるで頭に地図を描いたかのように抜け落ちていた。



そして、夢の中で車を運転し、知らないところを走っていたら、

前がよく見えず、

大きな池に突っ込んでしまい、後ろを走っていた妹の車共々、水のなかに沈んでいった。


とてもネガティヴな夢だが、わたしは楽しかった。



沈む前と、沈んで行くその過程が、楽しかった。

すこしの不注意により、とんでもないことが起きた。

そして、私は自分の犯した罪について考えると同時に、まだ生きることを諦めていなかった。

けれど、どうやって助かるのかわからない、どんどん車は浸水してゆき、息もできなくなるし、どんどん沈んで行く。

そうしながらも、後ろで沈んで行く妹のことが気になって、大丈夫だろうか?ごめんね、など、短い間にたくさんの事が頭に過る。

完全に沈んで、水の底に行くまでの間にも、私はまだ諦めていなかった。

誰かがきっと助けにくる、妹は大丈夫だろうか、なにか突破口はないかと、真っ暗な中で考えまくる。





呼吸が苦しくなり、海の底にたどり着く前に、私と妹は助かっていた。

誰かにたすけられた訳でもなく、私が勝手にその幻想を解いたのだった。

私は幻想で遊んでいた。



頭がハゲたのも、ハゲた時の心境を体験してみたかったのだった。

私は夢の中でかなりスリリングな遊びをしていた。










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自分とは。 





肉体が重いと感じるときがありながら、それが嘘かのように軽くなったり、肉体をもつことの不思議について考えている。

軽くなりたいなら、軽く居ればいい。

けれど、素直にそうしたくはない自分がいる。

私の自我はその仕組みをこれからどういった流れで受け入れるのだろう。








世の中はほんとうに、ふしぎだ。

潜在的なことは全無視で、別で物資界は動いていたりして、

人のコミュニケーションもそんな感じになっていて、それが当たり前になっていたりする。

混沌としていて、けれどその中に軽い瞬間もあって、この現実は不思議だ。

これも、どのように今後、私の自我はコンプリートしていくのだろうか。







自分が広がれば、自分の高みを新たに発見する。

けれど、それと同時に、自分の深みも発見することになる。

つまり、新たな大きな希望を見いだしながら、

自分の中の気づかなかった地獄のような部分(もちろん幻だが)と対面してゆく日常を生きることになる。


その連続と、そのなかでの自分でしか発見できない物事との出会いが、私にのっての最高のギフトである。


わたしは広がりながら、わたしを受け入れてゆき、幻想をほどいていくのであった。

その作業は、瞑想のなかで行われるが、毎回それも不思議だ。

毎回同じ感じで勝手に始まるけれど、毎回起こっていることは新しい出来事で、そして、何が起こっているのかよくわからない。

私たちは不思議のなかで生きていて、不思議なことで悩み、不思議なことで喜んでいる。











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再び会う





昨晩、寝ながら伏見について考えていた。

伏見稲荷の犬のような頭を持つ白い巨人に、昔呼ばれた事があったことを思い出していた。

なぜ、犬なのか?
なぜ、伏見と書くのか?

人へんに犬 を見るで伏見。。。



すると、昨晩、そのまま繋がってしまった。

繋がったのは犬ではなく、白い高貴なキツネだった。

信用に値する存在かもわからないのにしまった!と思ったが、時すでに遅し。

別に嫌な感じはしなかったのでそのままほったらかして朝が来た。

朝起きて、あれはなんだったんだ?と再び振り返る。

狐とは、まるでゴールドみたいだ。

龍は流れるけれども、狐のエネルギーはただそこにあるゴールドな感じがした。

そして、私はそこに生きるヒントをもらったような気がした。

生きていると、ただそこにあることだけでもなんだか難しい。

常識やルールについて考えたり、無意識に人に合わせたりしているうちに、

自分を見失いがちだ。













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自分の中の強い人





自分のなかに、とてつもなく強い人が居る。

今世の私は弱いけれど、心の奥底には、とてつもなく強い人が居る。

私が現実逃避したとき、ガツンと殴られたことがあった。

当時は変な心霊現象が起きたと思ったのと、その感じた事のない痛みに怯えていた。

けれど、それは自分だった。








先日、物凄く怒った時があった。

とのかくとにかく腹が立って、

自分の根本から涌き出てくるエネルギーが止められなかった。

強さそのもの、だった。



私はそういえば、そんな強い自分を知っている。

まるで男のように私を強く殴ったけれど、彼女は女性だ。

敵など居ないし、自分の意見をしっかり持っていて、どこにでもすぐに直談判しに行く。星から星をまたぎ、いつも走っている。

そんな自分を知っている。

彼女はいつも笑っていて、その笑顔は祖父の笑顔と重なる。

祖父とは、魂的にも縁がある気がする。

なんだか、根本的に似ているところがあった。

祖父が死んで、すこしの間、祖父が苦しそうだったのを知っている。

けれど、それが終わると、祖父は成仏していった。

そして、強い自分が、子どもの姿をした祖父と、夢の中で楽しく遊んでいた。

祖父は私の事をとても慕っていて、わたしも祖父のことが本当に可愛いかった。

祖父も私も、本当に楽しそうにしていた。

祖父は今世を完全に終わらせたのだった。








強い自分は、私に対して怒っている時がある。

強い自分が怒る時はいつも同じだ。

強い自分は、私にとってエネルギーの指針であり、最高の師なのかもしれない。

私は彼女が怖くもあり、うまく出来ない自分をどうしようと思うことがある。

けれど、今世の弱さを知っている彼女は、私が成長する姿をただ見ている。

そして、介入すべき所で介入し、すぐにどこかへ行ってしまう。

今世の私は、ずっと他者が怖かった。

けれど、それさえも自分だった。

他者のなかに、彼女の姿をずっと重ねて観ていた。

とてつもない怒りを持った彼女は、とても怖い。

けれど、私は彼女のことが大好きだ。




彼女はたまに、私の中に入ってくる。

その時間は楽しくて、幸せで、健康的で、何とも言えない幸せが流れる。

私は彼女が好きで、彼女がいないとつまらない。

彼女はすぐにやってくる。

喜んでやって来て、そのとてつもないパワーを、私のもとに残して行く。

まるで、喜びの戦士みたいだ。

彼女はとにかく行動が速い。

私はもっと彼女に近付きたい。











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全く新しい事



人生は、起こるとわかっている事よりも、全く新しい事が起こる方が何倍もたのしい。

当たり前か。




日々エネルギーについて考えて、どうやったら全てを集められるか?ばかり試行錯誤している。

現在の仕事はとても体力と気力が必要で、気を抜くとすぐに怪我をしてしまう。

それらを改善する為に、自分のすべてをここに集めることが大切になってくる。

なかなか難しい。

集めても一瞬しか持たないのだ。

けれど、1日のうち、集められる瞬間の回数がぐっと増えた。

チャンネルが定まって来はじめたということか。






エネルギーが集まったとき、その時、それはそれは、自分は強いのだと感じる。

からだの細胞が全て振動して、そこに時間は存在していない。

そして、私は時間を越えた豊かさを感じられるのだった。

本当に、その瞬間しかなくなる。

けれど、私はそれが怖くなって、すぐにその楽しさをやめてしまう。

それは、仕事中に仕事をしているということを忘れる様なもので、

わたしがずっとそうであるならば、私は自分がやらなければならないこと全てを忘れて、そのまま流れてしまいそうで、怖くなるのだった。

けれど、あの素晴らしい感覚、あれは、わたしが過去にエジプトの鳥神を見たときと全く同じ感覚だ。


エジプトと人体の関係は、なんなのだろうか。






私は、懐かしい。

バラバラにされてしまった体のパーツを集めて、アヌビスらしき神が、ミイラにして全部をひとつにまとめて、エネルギー的にもちゃんとひとつになるようにしてくれたこと。 

私がこんなに、自分を集めることに興味があるのは、そんな過去世でもあったからだろうか?

アヌビスに会ってみたいと思い始めるのであった。











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体型




ブルゾンちえみが好きだ。

体型、顔、エネルギー、全部好きだ。

ブルゾンちえみがテレビに出ていたら、私は目が離せなくなる。

あの体型に見惚れる。


どうして私は今世、この体型なのだろう?と考えることが多々ある。

力を使う仕事を始める前までは、
「華奢な体に生まれたから、力仕事をするために生まれた訳じゃないはず」と信じていた。

けれど、気付いたら好きで今の仕事をしていた。

仕事は好きだが、体力的にきつい部分がある。

そして、憧れるのはやっぱり、エネルギーが有り余ってそうな体型だ。

力が有り余っていて、いつでもどこでもどれだけでも、人のために動けるエネルギーを保持していたい、そんな欲が出てくる。

過去、私はどこかで、そんな体型だったことがあることを、なんとなく覚えている。

あのときは、力があることが当たり前だったが、今は真逆の体型にある。

当たり前だったものが、現在は無いのだということに気が付くまでに時間がかかったが、

今はその感覚を毎日、ただ感じている。


きっと、その感覚が溶けた頃には、私は今の仕事によりエネルギーを注げるに違いない。

その感覚を思い出し始めている。

体力と体型は必ずしもイコールではないと思いたい。

大半の生きる上で必要なことは、誰にでもエネルギー次第で出来るものだと、信じている。

「気の流れ」を感じさえすれば。










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