アトランティス

自分の路をたどります

発達障害について


発達障害の可能性が高いと思い、検査を始めたが、その検査がなんだか、すごく変だった。

足し算をさせられたり、積み木をさせられたり、間違い探しをさせられたり、なんだか、ふざけてると思った。

自分はなにをしてるんだろうと。

しかも、検査を担当する人は、どんな様子で答えるかよりも、できるか出来ないかだけを見ているような気がする。

しかも、検査の名前が「心理検査」というものらしく、なにそれ?って感じ。

対処法が知りたいし、自分で自分のことをどう捉えられたらいいかわからない部分があって、

自分で整理出来ないから知りたかったのだが、

果たして、マニュアル通りの検査でどのような結果が出るのだろうか。

吉濱ツトムさんの本を読むのが一番手っ取り早いのかも。もう3冊注文しといた。

心理検査、続きを受けにいかねばならない。

あの病院信用出来ない。

あと、病院の医者も、なんだかものすごいエネルギーだった。

あの人、金儲けの仕方間違ってる。









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思考

頭は常にぼーっとしているが、それでも思考はわく。

ずっと考え続けてきた癖で、ぼーっとするすばらしい能力を手にいれたのに、思考はそのまま、癖で働き続けている。

そのギャップで、頭が詰まったみたいな感覚になる。軽い頭痛。

わたしは思考をやめてしまうのが怖い。

やめていいんだよと、自分に言ってあげることだ。












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だいぶ前、北側からこの部屋に、龍が私めがけて飛んできた。

あれはなんだったんだと、よく思い出すのだが、

ふと、あの龍は山のものかもしれないと思い、Google mapにて、早速、真北の方角の山を見た。

すると、真北に、私が過去に行った毘沙門天の寺があった。

そのなかに神社があり、そこがなんだかすごかったので、そこで軽くエネルギーを放ったのだが、

あ、、、と思った。

もしかしたらあの龍は、私が放ったものかもしれない。




それにしても、毘沙門天ってどんな存在だろうか。

かなり集中力に関わる神なのではないかと思う。

最近仕事で通る道に、毘沙門天の神社があり、その「毘沙門天」という字で目がピタリと止まる。

それで繋がったとき、集中力をくれるような、そんな感じがした。

いったい、どんな人だったんだろう。










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職場の人


職場に、たまにヘルプで来る男性がいるのだが、彼はストレスが溜まると人にたくさんのスイーツなどをくれる。

わたしは現在2度目の貰い物で、スイーツを食べなければならないストレスに苛まれている。

まるで、彼のストレスをそのまま食べているかのようだ。

つらい。








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発達障害かもしれない





日々が非常に辛く、普通の人がみんなできるようなことが出来ず、長年悩んでいる。

そして、それを人に話したり説明する頭がない、発想がない、非常に苦しんでいるが、人に言っても理解されなさそうなど、

そういった理由で人には言えないことがあり、

そして、それを改善しようと考えるのだが、かなり小さな頃からそうで、現在もほとんど変わらない状態なので、

無理じゃね?と、内心思っていた。

だが、現実問題そのままでは許されないわけであり、実際にカオスな日々を過ごしているわけで、

どうにもこうにも、穏やかではない状況に四苦八苦している。

だが、数日前、ネットで「吉濱ツトム」という人の動画を見た。

まるで、自分が喋っているみたいで、かなり宇宙人で、その人が、発達障害について真顔で喋っている動画がたくさんあった。

そして、その人が説明している発達障害の特徴が、自分にすごく当てはまっていた。

そして、この数日それをふまえて仕事をしていて、ひしひしと、自分は明らかにそうであると、確信し始めた。

これまでのじぶんの苦しみ、見た目はそうではないが、まるで自分が障害者のようで、だけれどそうではなく、もっと毎日を頑張って生きなければならないわけで、

だが、どうしても出来ない、出来たとしてもかなりの負荷がかかり、継続できない。ほんとうに、日々が大変すぎるという感覚、

楽しそうな普通の人たちを見るよりも、楽しそうな障害者たちをみているほうが、遥かに癒されるということ、

じぶんの居場所は、どちらかというと、障害者寄りなのではないかと思った。

なぜならば、普通の人たちのなかに居ることは、とても緊張状態で、どれだけ同じときを過ごしても、それが緩むことはない。

だが、世の中には、自分がどれだけ緊張しているかに関わらず、その人を見た瞬間から自分をさらけ出せるような人がいる。

そういうひとは、どこかやわらかで、光っていて、優しくて、おもしろくて、堂々とダメな人なんだけど、それを肯定できているひとたち。

そういった人が、障害者のなかにはたくさんいるというのを、TVで見たことがある。

私が楽しく生きるには、そのように堂々とダメな自分を肯定することが重要なのではないかと、現時点では思う。

現在、病院にて、検査の最中である。

今日初めて通院して、1時間半の検査をし、また後日約40分ほど検査をするらしい。

今まで何ヵ所か病院に予約を試みたことが過去にあったのだが、予約がいっぱいでできなかった。

そして、電話の受付の方が、なぜか毎回ギスギスした雰囲気で、もしもそこへ通うと、人格否定をされそうで、怖かった。

だけれど、今日は受付の方は優しく、当日に検査をすることも出来て、よかった。

時期的によいのかもしれない。

発達障害という言葉を知るまでは、じぶんが出来ないことを病院で言語化して説明することができず、何がどのように苦しいかも、言えなかったと思う。

けれど、今日は発達障害という言葉を知っていたから、それだけですぐに通じて、すぐに検査を受けることができた。

確信がなければ、わざわざ病院に行くなど、決してできなかった。

時期がよかった。




ここまで言っておいて、異常なしだったらどうしよう。

なにも改善策がなければ、どうしよう。とも思うが、現時点では流れに任せるしかない。

だが、今日の検査を受けた状況が、夢の中で見たのと同じだった。

検査結果がどうであっても、何かしらのターニングポイントであることは間違いないと言える。











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時を越えて



つるこういちさんの、1996年11月の、「時間軸」という講演CDをほぼ自然的に購入していた。

そして、今日思い出したら、ちょうど届いていた。

時を越えて、約20年前のつるさんの声を聞くわけだが、

始めて声をきいたのに、始めてな感じがしない。

つるさんのことをすでに知っている感じがした。



再生して、ベッドに横になって、疲れたから動けなかった。

そしてそのまま、なんとなく声を聞いていた。

すると、わたしは半分寝ながら、どのように時間を産み出すのか、試行錯誤していた。

すると、やはりそれは、自分を集める行為であった。

ずぞぞぞぞと、思考ひとつで、なにかを掴みかけたとき、自分が集まり、時間が消えるというようなことが何度も起きた。

わたしはそこに恐怖がわき、恐怖が出るとすぐに散っていくので、なんとか掴んで、掴んで、を意識していた。

数秒掴み続けられたとき、慢性的なわたしのなかの恐怖心が、減った。

その時、私の体が何度かボコボコ揺れて、怖かった。

長い間あった恐怖心は、すこしいまもあるが、ここ20年以上ずっと関わってきた感覚が、変化しているので驚いている。



自分を掴んで、掴んで、していたとき、太陽みたいだった。

やっぱり、じぶんのルーツは太陽なのだろうか。

それとも、人はみな、太陽なのだろうか。

時間と言うものがなくなってしまうことと
自分がここに居るということは、同じことであった。

自分がここに居ると、時間は存在しなくなるのであった。












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夏至



夏至という日を、どう過ごしたら良いのだろうか?

「あまり欲がない人」だと、先日とある人から言われ、確かに、と感じている。

欲がある人は、夢が叶ったイメージで瞑想をすると良いらしい。

わたしはただ瞑想をすることにした。


すると、いつの間にかハートに入っていた。

わたしの声がした。

「彼氏などいらない。わたしは、いままでとは全く違った生き方がしたい。」

そう聞こえた。

たしかに。

わたしは頭では、出会いを求めていた。

だけれど、たしかに。

わたしは全く違った、これまでの普通とは全く違った感覚で生きて行きたいという、強い強い欲求があった。

その声を聞きながら、エネルギーの流れを見ていたが、そのエネルギーの流れが、全く収束しなかった。

わたしのこの思いは、どんな形になるのか、また、どんなエネルギーとして在るのかも、なにも決まっていない。

それは決められるようなものではないからだ。

そして、これを書きながらふと、思った。

わたしはいままで、自分を監視して生きてきすぎた。

子供の頃、親から叱られ続けていたわたしは、もう全てが嫌になり、

自分が親の目となり、自分を監視すればいいと、そう思った。

だが、残念ながらそれは不自由の始まりであり、わたしはそこから自覚なく怒りを抱えたまま、生きることとなった。

その見張る自分をやめることでしか、わたしの欲求は達成し得ない。

なぜなら、根元のエネルギーに身を任せなければならないからだ。

私が私を見張っているのでは、わたしはいつまでも植え付けられた常識という監獄のなかから抜け出すことができないからだ。

監視をやめ、わたしは私をゆるすことから始まる。










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